34〜55%と、82%。厚生労働省が「インフルエンザワクチン(季節性)」のページに載せている二つの数字です。65歳以上で高齢者福祉施設に入所している方について、発病を34〜55%、死亡を82%阻止する効果があった、という国内研究にもとづきます(平成11年度厚生労働科学研究費補助金「インフルエンザワクチンの効果に関する研究」主任研究者・神谷齊)。
ただ、この数字だけを見て安心するのは早すぎます。ワクチンは感染予防の一本の柱であって、全部ではないからです。
感染が成立するには、三つの条件が要る
厚生労働省老健局の『介護職員のための感染対策マニュアル 概要版(施設系)第3版』(令和5年12月)は、感染が成立する要因を病原体(感染源)、感染経路、感受性宿主の三つに整理しています。だから対策も三本立てになります。病原体の排除、感染経路の遮断、宿主の抵抗力の向上。同じ資料が掲げる合言葉が「持ち込まない・持ち出さない・拡げない」です。
感染経路は接触感染、飛沫感染、空気感染の三つ。同資料はこのうち接触感染を最も頻度の高い伝播経路として挙げています。手が主役だということです。
手指衛生には、決まった五つの場面がある
世界保健機関(WHO)が2009年に公表した「Your 5 Moments for Hand Hygiene」は、手指衛生を行う場面を五つに固定しました。
- 利用者に触れる前
- 清潔操作・無菌操作の直前
- 体液に曝露するリスクがあった直後(手袋を外した後を含む)
- 利用者に触れた後、その場を離れるとき
- 利用者の周囲の物や家具に触れた後、その場を離れるとき(本人に触れていなくても)
五つ目が、いちばん抜けます。
ベッド柵を直しただけ、テーブルを拭いただけ。本人に触れていないから省略されやすい場面ですが、WHOはここを独立した一場面として立てています。
使い分けも決まっています。前掲マニュアルは、手指に肉眼で確認できる汚れがなければアルコール消毒でよいとし、目に見える汚れがあるときは流水で洗うよう求めています。汚れが病原体を覆い、消毒効果が発揮されないことがあるためです。消毒用エタノールのワンプッシュはおよそ2〜3ミリリットルです。
環境整備は、感覚ではなく数字で決める
ドアノブ、トイレ、リネン類などの一般的な消毒には0.02%の次亜塩素酸ナトリウム液を使います。前掲マニュアルは希釈も示していて、原液が1%なら50倍、6%なら300倍、12%なら600倍。作り置きは1日分までです。
やってはいけないことも書かれています。次亜塩素酸ナトリウム液を含む消毒薬の噴霧は、吸引すると有害で効果も不確実であるため行わないこと。
換気は複数の窓を開けて定期的に行い、機械換気が働いているかを確認する。湿度は40%以上が感染予防の目安として同資料に示されています。
高齢者の定期接種は、いま三本立て
予防接種法のB類疾病の定期接種として、高齢者が対象になるワクチンは三つあります。
- 季節性インフルエンザ。65歳以上の方と、60〜64歳で心臓・腎臓・呼吸器の機能障害またはHIVによる免疫機能障害が一定程度ある方が対象。毎年度、秋冬に1回
- 新型コロナ。対象者はインフルエンザと同じで、接種期間は10月1日から翌年3月31日まで
- 肺炎球菌。65歳の方と、60〜64歳で上記の障害がある方に1回。2026年4月から、使うワクチンが23価莢膜ポリサッカライドワクチン(PPSV23)から沈降20価結合型ワクチン(PCV20)に変わり、筋肉内接種になりました
厚生労働省は、PCV20が血清型によらない侵襲性肺炎球菌感染症全体の3〜4割程度を予防するという研究結果を紹介しています。新型コロナについては、2024/25シーズンのJN.1系統対応ワクチンが入院を約45〜70%程度予防したという国内外の報告を挙げています。2024年の新型コロナによる死亡数は約36,000人、インフルエンザは約2,900人でした(令和6年人口動態統計・確定数)。
新型コロナワクチンは、インフルエンザ、帯状疱疹、高齢者の肺炎球菌の各ワクチンと同時接種が可能です。接種の可否や組み合わせは持病や服薬の状況で変わりますので、かかりつけ医にご相談ください。
効果の確からしさは、資料の段によって違う
冒頭の82%と、無作為化比較試験を集めた解析の数字は、同じ重さではありません。
Demicheliらが2018年に公表したコクラン・レビュー(CD004876)は、65歳以上を対象とした無作為化比較試験8件をまとめました。1シーズンで、検査で確認されたインフルエンザは6%から2.4%に減りました(リスク比0.42、95%信頼区間0.27〜0.66)。30人に接種して1人の発病を防ぐ計算です。ただしエビデンスの確実性は「低」と評価されています。インフルエンザ様疾患は6%から3.5%(リスク比0.59、確実性「中」)で、42人に1人。死亡と入院については、データが乏しく判断できないと結論づけられています。
効果が控えめであることと、打つ意味がないことは、別の話です。
平時にやっておくこと
平成17年2月22日付の厚生労働省5局長連名通知「社会福祉施設等における感染症等発生時に係る報告について」は、発生時の報告基準で知られていますが、平時の義務も定めています。職員の健康管理を徹底すること。職員や来訪者の健康状態によっては利用者との接触を制限すること。そして、年1回以上、職員を対象として衛生管理に関する研修を行うこと。
職員自身の備えも前掲マニュアルに整理されています。入職時に麻しん・風しん・B型肝炎などの罹患歴、予防接種の状況、抗体価を確認することを推奨。
早期発見のための観察項目も決まっています。発熱、嘔吐や下痢、咳や喀痰や咽頭痛、発疹。そして「いつもと様子が違う、ぐったりしている」。この最後の一項目が公的なマニュアルに明記されている意味は小さくないと私は考えています。
手指衛生、環境整備、換気、ワクチン、日々の観察。平時に積み上げられるのは、これだけです。
参考文献
- 厚生労働省老健局『介護職員のための感染対策マニュアル 概要版(施設系)第3版』令和5年12月.
- World Health Organization. “Your 5 Moments for Hand Hygiene.” May 2009.
- 厚生労働省「インフルエンザワクチン(季節性)」(Q&A 2025年12月19日版).
- Demicheli V, Jefferson T, Di Pietrantonj C, Ferroni E, Thorning S, Thomas RE, Rivetti A. Vaccines for preventing influenza in the elderly. Cochrane Database of Systematic Reviews 2018, Issue 2. Art. No.: CD004876. DOI: 10.1002/14651858.CD004876.pub4.
- 厚生労働省「高齢者の肺炎球菌ワクチン」(Q&A 2026年2月20日版).
- 厚生労働省『65歳以上の方などを対象に新型コロナワクチンの定期接種を実施しています』令和7年10月.
- 厚生労働省健康局長ほか5局長連名通知「社会福祉施設等における感染症等発生時に係る報告について」健発第0222002号ほか、平成17年2月22日.
参考文献
- 太田 差惠子. (2022). 『親の介護でやってはいけない』. 翔泳社. Amazonで見る ›
- 太田 差惠子. (2021). 『マンガでやさしくわかる 介護とお金』. 日本能率協会マネジメントセンター. Amazonで見る ›
- 和田 秀樹. (2023). 『老後ひとり暮らしを楽しむ65のヒント』. 幻冬舎. Amazonで見る ›
- 杉山 孝博. (2020). 『認知症の人を支える 心のケア』. 中央法規出版. Amazonで見る ›
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