令和5年の一年間に起きた、休業4日以上の「災害性腰痛」は6,132件。そのうち2,194件が保健衛生業、つまり医療機関や社会福祉施設で発生しています。厚生労働省『令和5年業務上疾病発生状況等調査』第1表(業種別・疾病別)の数字です。日本の腰痛労災のおよそ3分の1が、人の身体を支える仕事から出ていることになります。
腰は、気合いで守れるものではありません。
国が「抱え上げない」と書いています
厚生労働省は『職場における腰痛予防対策指針』を平成25年(2013年)に改訂し、適用範囲を「福祉・医療分野等における介護・看護作業」全般に広げました。その別紙Ⅳには、はっきりこう書かれています。移乗介助、入浴介助、排泄介助における対象者の抱上げは腰部に著しく負担がかかることから、全介助の必要な対象者にはリフト等を積極的に使用することとし、原則として人力による人の抱上げは行わせないこと。
座位が保てる方にはスライディングボード等、立位が保てる方にはスタンディングマシーン等の使用を含めて検討する、とも書かれています。用具を使うかどうかは、職員の経験年数や優しさの問題ではありません。事業者が講じるべき対策として、行政指針に明記されているものです。
ただし、これは法令にもとづく行政指針であって、臨床試験の結果ではありません。「リフトを導入すると腰痛が何パーセント減る」という効果量が示されているわけではない、という点は正確に押さえておきたいところです。
手を出す前に決めておくこと
同じ指針は、作業標準を「対象者ごとに、かつ、移乗、入浴、排泄、おむつ交換、食事、移動等の介助の種類ごとに策定すること」と求めています。そして、対象者の状態が変わるたびに見直すこと。
つまり、Aさんの移乗のやり方は、Aさんの今日の状態に対して決まっているべきものです。立てるのか、座位が保てるのか、足は出るのか、痛むところはないか。ここを確認しないまま身体に触れるのが、いちばん危ない入り方です。
ベッドから車いすへ
準備の段階で勝負がついています。
- ベッドの高さを、自分が立ったまま前かがみにならない高さまで上げる。指針でも、立位で前屈にならない高さまで電動で上がるベッドを使い、各自で作業高を調整させることが挙げられています。
- 車いすはベッドに対して斜めに寄せ、ブレーキをかけ、フットサポートを上げ、必要ならアームサポートを外す。移動する距離と、身体をひねる角度を先に減らしておきます。
- 本人に浅く座り直してもらい、足を膝より少し手前に引く。足の裏全体が床につく位置です。
- 介助者は足を前後に開き、膝を軽く曲げて重心を低くし、本人にできるだけ身体を近づける。指針は、腰部に負担のかかる動作では膝を軽く曲げ、呼吸を整え、下腹部に力を入れながら行うこと、作業対象にできるだけ身体を近づけることを求めています。
- 「1、2の3で、おじぎをするように前に体重を移しますよ」と声をかけ、合図を合わせる。引き上げるのではなく、前方への重心移動を助けます。
- 方向を変えるときは、腰をひねらず、自分の足を踏み替えて身体ごと向きを変える。
指針が「不自然な姿勢」として挙げているのは、前屈姿勢、中腰姿勢、上半身と下半身の向きが違うひねり姿勢、体幹を後方に傾けながらねじる後屈ねんてん姿勢です。移乗介助で腰を痛める瞬間は、たいていこのどれかに当てはまります。
立ち上がりの介助で支える場所
人が立ち上がるとき、重心はいったん前に出ます。足の裏という土台の上に上半身が乗るまでは、前傾が必要です。だから介助者がすることは、身体を上に持ち上げることではなく、前に出る動きを妨げないことになります。
背中を後ろから押すのではなく、骨盤のあたりを支えて、前方向を示す。腕を引っ張らない。急がせない。指針も、急激又は不用意な動作は予期しない負荷が腰部にかかるため避けるよう求めています。これは介助される側にとっても同じです。
どうしても人力で抱え上げざるを得ない場面については、指針は、対象者の状態と体重を考慮し、できるだけ適切な姿勢で身長差の少ない2名以上で行うこととしています。ひとりで踏ん張るのは、方法として想定されていません。
腰痛ベルトと予防体操の扱い
腰部保護ベルトについて、指針は慎重です。腹圧を上げることによる体幹保持の効果については見解が分かれているとしたうえで、労働者全員が一律に使用するのではなく、効果と限界を理解させ、必要に応じて産業医、整形外科医、産婦人科医に相談することが適当だとしています。全員に配って終わり、という使い方は想定されていません。
腰痛予防体操については、静的なストレッチングが推奨されています。息を止めずにゆっくり吐きながら伸ばす、反動をつけない、張りを感じるが痛みのない程度まで、20秒から30秒伸ばし続ける。行う時期は、作業開始前でも作業中でも作業終了後でもよいと書かれています。
そして、ここが大事なところです。指針は、急性期の腰痛で痛みなどがある場合や、回復期で痛みが残る場合には、ストレッチングを実施するかどうかを医師と相談するよう明記しています。痛みを押して伸ばすものではありません。
痛むときは、まず受診を
腰部に著しい負担のかかる作業に常時従事する人には、配置時とその後6か月以内ごとに1回、医師による腰痛の健康診断を行うことが指針に定められています。裏を返せば、腰痛は半年ごとに拾い上げなければならないほど再発しやすい、という前提に立った制度です。
しびれが出ている、足に力が入らない、夜間も痛む。そうした症状があるときは、体操や用具の工夫より先に整形外科などの医療機関を受診してください。ご家族を自宅で介護している方も同じです。持ち上げないための道具は、介護保険の福祉用具貸与で借りられるものがあります。担当のケアマネジャーに相談する価値は十分にあります。
参考文献
- 厚生労働省『職場における腰痛予防対策指針及び解説』(平成25年改訂)
- 厚生労働省『業務上疾病発生状況等調査(令和5年)』第1表 業務上疾病発生状況(業種別・疾病別)
参考文献
- 太田 差惠子. (2022). 『親の介護でやってはいけない』. 翔泳社. Amazonで見る ›
- 太田 差惠子. (2021). 『マンガでやさしくわかる 介護とお金』. 日本能率協会マネジメントセンター. Amazonで見る ›
- 和田 秀樹. (2023). 『老後ひとり暮らしを楽しむ65のヒント』. 幻冬舎. Amazonで見る ›
- 杉山 孝博. (2020). 『認知症の人を支える 心のケア』. 中央法規出版. Amazonで見る ›
※ 上記書籍リンクには Amazon.co.jp アソシエイトを含みます。書籍はあくまで参考情報であり、医療行為の判断は必ず医師にご相談ください。
