働き続ける効能と、その落とし穴

70歳まで働ける仕組みを整えた企業は、3社に1社です。

厚生労働省の令和7年「高年齢者雇用状況等報告」集計結果(2026年6月公表)では、70歳までの高年齢者就業確保措置を実施済みの企業は34.8%でした。前年から2.9ポイント増えています。裏返せば、6割以上の企業はまだ用意していません。65歳までの雇用確保措置のほうは99.99%の企業が対応済みですから、65歳の壁は制度として消え、70歳の壁だけが残っている格好です。

ところが、働く側は制度を待っていません。

内閣府『令和8年版高齢社会白書』(2026年6月)によれば、令和7年の労働力人口7,004万人のうち65歳以上が960万人。65歳以上の就業者数が前年を上回るのは22年連続です。就業率は65〜69歳で54.5%、70〜74歳で36.2%、75歳以上でも12.6%。65歳を過ぎた人の半数以上が、まだ働いています。

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退職を1年遅らせた人に起きていたこと

働き続けることと頭の健康については、規模の大きな研究が一つあります。フランスの自営業者42万9,803人について、年金記録と医療記録を突き合わせて解析したものです。退職年齢が1歳高いごとに、認知症のハザード比が0.968でした。1年あたり約3.2%低いという計算になります(Dufouil C, et al. European Journal of Epidemiology. 2014;29(5):353-361)。65歳で辞めた人と70歳まで働いた人では、単純に積めば15%前後の開きです。

日本にも近い研究があります。愛知県に住む要介護認定を受けていない高齢者1万3,984人を、介護保険の記録を使って約9年半追跡したものです。配偶者がいること、家族と支え合っていること、友人と会っていること、地域の集まりに出ていること、そして有償の仕事をしていること。この5つがそれぞれ独立に、認知症の発症しにくさと結びついていました。5つすべてが揃っている人は、一つも当てはまらない人にくらべて発症が46%少なかったと報告されています(Saito M, et al. Journal of Epidemiology and Community Health. 2018;72(1):7-12)。

この研究で目を引くのは、有償労働が友人関係や地域参加と同じ列に並べられている点です。仕事は収入を得る手段であると同時に、人と会う理由であり、朝起きる時刻を決めるものであり、自分の座る席でもある。研究者はそれを、社会関係の一種として数えました。

矢印の向きは、まだ確定していません

ここは慎重に書きます。

働いていたから認知症になりにくかったのか。それとも、もともと認知症になりにくい健康状態だったから働き続けられたのか。上に挙げた2本はどちらも観察研究であり、この二つを完全には切り分けられません。健康な人ほど職場に残る、という当たり前の傾向が数字を押し上げている可能性は、常に残ります。

実際、退職時期と認知機能を扱った研究を整理したスコーピングレビューでは、遅い退職が認知症リスクを下げたとする研究が5件ある一方で、正の関連・負の関連・関連なしが入り混じる研究も5件あり、全体としての結論は割れています(Yauk J, Veal B, Dobbs D. Journal of Applied Gerontology. 2024. doi:10.1177/07334648231213745)。

ですから「働けば認知症を防げる」とは書けません。確からしいのはここまでです。働き続けている人の集団は認知機能の面で分が良く、その差は退職年齢が高いほど大きい。因果を証明したものではなく、方向を示した数字です。

効能だけを書くのは公平ではない

働くことの良い面を並べたので、代償のほうも書かなければ片手落ちになります。

厚生労働省『令和7年における労働災害発生状況(確定値)』(2026年5月公表)によると、2025年に休業4日以上の労働災害に遭った人は13万5,333人。死亡者は700人で、統計開始以来もっとも少なくなりました。ところが60歳以上の死傷者は4万2,318人にのぼり、全体の31.3%を占めて過去最多を更新しています。事故の型では転倒が最も多く、しかも前年より増えました。

働く高齢者が増えれば災害の実数も増える。それは当然です。ただし比率の話も出ています。厚生労働省のエイジフレンドリーガイドラインは、労働者1,000人あたりの年間の死傷災害発生率について、60歳以上を30代と比べると男性で約2倍、女性で約4倍になると示しています。同じ職場、同じ作業でも、転びやすさと転んだあとの重さが違うということです。

この状況を受けて、2026年4月1日から労働安全衛生法第62条の2が施行されました。事業者は高年齢者の特性に配慮した作業環境の改善や作業管理に努めなければならない、という努力義務です。あわせて「高年齢者の労働災害防止のための指針」が公示され、安全衛生管理体制の整備、職場環境の改善、体力の把握と就業上の措置、安全衛生教育などが具体的に示されました。

努力義務に罰則はありません。だからこそ、働く本人が中身を知っておく意味があります。段差、照度、重量物、夜勤の有無。指針に書かれていることは、そのまま職場に確認してよい項目です。

続けるか辞めるか、の二択ではない

ここからは私見です。研究が拾っているのは「雇用されている状態」そのものというより、そこに付いてくる中身のほうではないかと私は考えています。決まった時刻に出かける理由があること。誰かに必要とされる持ち場があること。段取りを考え、手を動かし、結果が返ってくること。Saitoらの研究が有償労働を友人や地域と同じ列に置いたのは、その中身が社会関係だからでしょう。

そうであれば、フルタイムを続けることだけが正解ではないはずです。週2日に減らす。立ち仕事から座り仕事へ移る。後進に教える側にまわる。中身を残したまま形を変える道は、いくつもあります。34.8%という数字は低いようでいて、この制度には業務委託契約や社会貢献事業での就業確保も選択肢として含まれています。会社に残る以外の続け方を、法律の側はすでに想定しています。

持病がある方、薬を飲んでいる方が働く量や時間を変えるときは、かかりつけ医にご相談ください。夜勤や重量物の扱いを続けてよいかは、血圧や骨の状態、薬の種類によって答えが変わります。

960万人。これは日本が高齢者を働かせている数字でもあり、日本の高齢者が働き続けている数字でもあります。どちらに読むかで、次の一手は変わります。


役割と健康の関係については、拙著『110歳まで歩く 日本人が世界に贈る健康長寿の知恵』でも一章を割いて扱っています。Amazonでみる(Kindle・ペーパーバック)

参考文献

  • Dufouil C, Pereira E, Chêne G, et al. Older age at retirement is associated with decreased risk of dementia. European Journal of Epidemiology. 2014;29(5):353-361.
  • Saito M, Aida J, Kondo K, et al. Influence of social relationship domains and their combinations on incident dementia: a prospective cohort study. Journal of Epidemiology and Community Health. 2018;72(1):7-12.
  • Yauk J, Veal B, Dobbs D. Understanding the Link Between Retirement Timing and Cognition: A Scoping Review. Journal of Applied Gerontology. 2024. doi:10.1177/07334648231213745.
  • 内閣府『令和8年版高齢社会白書』(2026年6月)
  • 厚生労働省『令和7年「高年齢者雇用状況等報告」集計結果』(2026年6月)
  • 厚生労働省『令和7年における労働災害発生状況(確定値)』(2026年5月)
  • 厚生労働省『エイジフレンドリーガイドライン(高年齢労働者の安全と健康確保のためのガイドライン)』
  • 厚生労働省『高年齢者の労働災害防止のための指針』(労働安全衛生法第62条の2、2026年4月1日適用)
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この記事を書いた人

hasejiiのアバター hasejii 110歳健康寿命プロジェクト 運営者|介護福祉士|デイサービス管理者(経験10年)

介護福祉士として、デイサービスの管理者を10年間経験。現場で見てきた「健康に老いるための工夫」と最新の医学・栄養学の知見をかけ合わせ、世界第1位の平均寿命を誇る日本の食事・運動・睡眠・心の習慣を、優しい言葉で紐解いていきます。

「110歳まで自分の足で歩く」を合言葉に、科学的根拠のある情報だけをお届けします。

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