眼鏡を掛けるのをためらう人は、ほとんどいません。
新聞の字がにじめば老眼鏡を買い、度が合わなくなれば作り直す。視力の衰えを道具で補うことに、誰も引け目を感じていません。ところが耳になると、話が変わります。聞き返しが増えても、テレビの音量が上がっても、「まだ大丈夫」と言って数年が過ぎていく。補聴器は、日本でいちばん先延ばしにされている健康の道具かもしれません。
15%と55%
日本補聴器工業会が2022年に行った全国調査「JapanTrak 2022」によると、難聴を自覚している人のうち補聴器を持っている人は15.2%でした。およそ7人に1人です。同じ方式で行われた欧州の調査では、デンマークが55%、イギリスが53%、ノルウェーが49%と報告されています(日本補聴器工業会『JapanTrak 2022 調査報告』2023年公表)。
日本は、長寿では世界の先頭を走りながら、耳の手当てでは大きく後れを取っています。
この差を「耳の問題だから命には関わらない」と片づけられない理由があります。認知症です。
認知症リスクの中で、耳が占める重さ
医学誌The Lancetの認知症委員会は2024年の報告で、生涯を通じて修正できる14の危険因子を挙げ、それらをすべて取り除けば認知症の約45%は予防または先送りできる可能性があると推計しました。14因子のうち、中年期の聴力低下が占める割合は約7%で、高LDLコレステロールと並んで最も大きい因子とされています(Livingston G et al. The Lancet. 2024;404:572-628)。
ただし、この推計は主に観察研究を積み上げたものです。難聴のある人に認知症が多いことは繰り返し報告されていますが、それだけでは「補聴器を付ければ認知症が減る」とまでは言えません。認知機能がすでに下がり始めている人ほど、補聴器の調整や装用が続かない。そういう逆向きの因果も考えられるからです。
観察研究のまとめとしては、31研究・13万7,484人を統合したメタ解析があります。補聴器や人工内耳を使っている難聴者は、使っていない難聴者に比べて長期的な認知機能低下のリスクが19%低いと報告されました(Yeo BSY et al. JAMA Neurology. 2023;80(2):134-141)。方向としては一貫していますが、これも観察研究の段にとどまります。
余談ですが、この分野では2023年にThe Lancet Public Healthに載った英国の大規模研究が、解析コードの誤りで補聴器使用者と非使用者のデータが入れ替わっていたとして撤回されています。耳と認知症の話題は数字が独り歩きしやすい。引用する側も注意が要ります。
初めてのランダム化試験が示したこと
では、介入して確かめた研究はあるのか。米国で行われたACHIEVE試験が、その最初の大規模なランダム化比較試験です(Lin FR et al. The Lancet. 2023;402(10404):786-797)。
対象は、未治療の軽度から中等度の難聴がある70〜84歳の977人。半数には聴覚の専門家による補聴器の調整とカウンセリングを、残る半数には健康的な老い方についての教育プログラムを提供し、3年間の認知機能の変化を比べました。
結果は、参加者全体では両群に差がありませんでした。
一方、参加者のうち、もともと長期の心血管研究(ARIC研究)に参加していた238人に絞ると、補聴器群の認知機能低下は教育群より約48%緩やかでした。この238人は年齢が高く、高血圧や糖尿病などの危険因子を多く抱えた、認知機能が下がりやすい集団です。研究チームは「認知機能低下のリスクが高い高齢者では、聴覚介入が3年間の低下を抑える可能性がある」と結論づけています。
これは事前に計画された解析ではあるものの、全体の主要評価項目ではなく一部の集団での結果です。「補聴器で認知症が半減する」と読むのは言い過ぎになります。言えるのは、リスクの高い人ほど、耳の手当てに意味がある可能性が高いというところまでです。
道具として付き合うために
補聴器が眼鏡と違うのは、買って掛ければ終わりではない点です。ACHIEVE試験の介入も、機器を渡すだけでなく、専門家による複数回の調整と使い方の指導を組み合わせていました。
日本で補聴器を検討する場合、制度として押さえておきたいことが二つあります。
一つは医療費控除です。日本耳鼻咽喉科頭頸部外科学会が認定する「補聴器相談医」を先に受診し、「補聴器適合に関する診療情報提供書(2018)」を受け取ってから購入すると、補聴器代が医療費控除の対象になります(国税庁『補聴器の購入費用に係る医療費控除の取扱いについて』2018年)。順番が逆だと使えません。
もう一つは、聴力が一定以上低下している場合の身体障害者手帳です。手帳の対象になれば、補聴器は補装具費の支給対象になります。自治体によっては手帳の基準に届かない軽度・中等度の難聴に独自の購入助成を設けているところもあるので、お住まいの市区町村の窓口で確認してください。
聞こえの低下には、耳あかや中耳炎など治療で改善するものも含まれます。補聴器店に行く前に、まず耳鼻咽喉科を受診し、かかりつけ医にもご相談ください。
眼鏡をためらわない国の人が、補聴器だけをためらう理由は、機能よりも見た目や「年寄りくさい」という感覚にあるように見えます。これは私見です。ただ、聞き返すのが面倒になって会話を避けるようになれば、人とのつながりそのものが細っていきます。つながりが長寿を支えることは、このブログで何度も書いてきました。耳は、そのつながりの入口です。
聴覚を含む認知症の14の危険因子については、拙著『110歳まで歩く ―日本人が世界に贈る健康長寿の知恵』でも取り上げています。Kindle版はこちら。
参考文献
- Livingston G, Huntley J, Liu KY, et al. Dementia prevention, intervention, and care: 2024 report of the Lancet standing Commission. The Lancet. 2024;404(10452):572-628.
- Lin FR, Pike JR, Albert MS, et al. Hearing intervention versus health education control to reduce cognitive decline in older adults with hearing loss in the USA (ACHIEVE): a multicentre, randomised controlled trial. The Lancet. 2023;402(10404):786-797.
- Yeo BSY, Song HJJMD, Toh EMS, et al. Association of hearing aids and cochlear implants with cognitive decline and dementia: a systematic review and meta-analysis. JAMA Neurology. 2023;80(2):134-141.
- Jiang F, et al. Retraction: Association between hearing aid use and all-cause and cause-specific dementia: an analysis of the UK Biobank cohort. The Lancet Public Health. 2023(撤回論文).
- 一般社団法人 日本補聴器工業会『JapanTrak 2022 調査報告』(2023年公表)
- 国税庁『補聴器の購入費用に係る医療費控除の取扱いについて(情報)』(2018年4月)
- 一般社団法人 日本耳鼻咽喉科頭頸部外科学会「補聴器購入者が医療費控除を受けるために」